追憶 出演者プロフィール

※年齢は2015年撮影時

追憶 出演者 ローズ・テロイ・シレス
ローズ・テロイ・シレス Rose Telloi Siles

1919年生まれ(当時96歳)

ペリリュー島の島民。パラオ名・テロイ、日本名・テルコ、アメリカ名・ローズ。

ペリリュー島に移住してきた日本人たちと過ごした。戦争により、パラオ本島へ避難した。

追憶 出演者 土田喜代一
土田喜代一 ツチダキヨカズ

1920年生まれ(当時95歳)

元日本軍海軍上等水兵。ペリリュー島攻防戦で米軍と死闘を繰り広げ、戦後1年8 ヶ月後に34名の同志と共に生還を果たす。

2015年4月9日、天皇・皇后両陛下がペリリュー島慰霊に訪れた際には、車椅子の老身を押して来島した。

追憶 出演者 ブラズウェル・ディーン
ブラズウェル・ディーンBraswell Deen

1925年生まれ(当時90歳)

元米国第一海兵隊一等兵。

ペリリュー島攻防戦で日本軍と死闘を繰り広げた。

指揮官は、海兵隊史上最も賞をもらったチェスティ・ブラーだった。

ブラーは、ペリリュー島は「3日で終わる」と考えていたという。

追憶 出演者 ビル・カンバ
ビル・カンバBill Cumbaa

1921年生まれ(当時94歳)

元米国第一海兵師団第二大隊少尉。

ペリリュー島攻防戦で、第二大隊は予備隊であった為、第一弾が上陸するのを船上から見守っていた。

第一弾が日本軍による直撃を受け、第二大隊が上陸できたのは2日目の事だった。

追憶 出演者 加藤木正二
加藤木正二 カトウギマサジ

ペリリュー島攻防戦で戦死。

元・歩兵隊第二連隊軍曹

戦地より、まだ見ぬ我が子と一緒に横浜港にいる様子を漫画にした手紙を家族へ送った。

2015年、長女・忠子さんは会った事のない父からの手紙を手にしていた。

追憶 出演者 坂梨實
坂梨實 サカナシミノル

ペリリュー島攻防戦に施設技師として参加。

1944年9月、切り込み攻撃を決意した大谷龍蔵大佐から、戦線離脱し、指令本部へ守備隊の最後の戦いの姿を書き記した手紙を託された。

大谷大佐から託された愛用の万年筆と、息子への遺言は、1946年坂梨によって大谷大佐の家族の元へと届けられた。

追憶 出演者 大谷龍蔵
大谷龍蔵オオタニリュウゾウ

1902年1月27日、熊本県熊本市寺原町生まれ。

日本軍海軍部隊大佐。

1944年9月27日、ペリリュー島攻防戦で自決。

追憶 2016年11月5日公開

追憶 監督プロフィール

監督メッセージ

この映画は、1944年にペリリュー島という南海の小島で実際にあった出来事であるが、その小さな場所での戦闘が「戦場とはこんなにも苦しく、酷く、虚しい」と語りかける。戦場は、人が人を殺す場所でしかないのだ。戦争という言葉でくくられるこの出来事が、このような時空の集積なのだとすると、そこに国家奉仕という大義を持って赴いた人々が肉体を消滅させていった事実に言葉を失う。生まれてきたことと同様に、死にも人それぞれの意味があると思うのだが、戦場にはそのような権利があったとは思えない。「負けると判っていた戦争をなぜ避けられなかったのか」との言葉によく出会う。しかし、負けなければ戦争に意味を見いだせたというのか。そもそも、勝利した側に、どれほどの幸せがもたらされたというのか。戦場からは只々大きな疑問しか見えてこない。

追憶 監督 小栗 謙一
小栗 謙一Kenichi Oguri

日本大学芸術学部映画学科卒業後、フリーランスの助監督として主に監督・中平康氏(1978年逝去)に師事。1981年、映像集団である(株)ディレクターズシステムを設立。映画、長編TVドキュメンタリー、CM、ビデオ出版、博覧会などイベント映像と広く映像コンテンツの監督・プロデューサーとして活動する。著書に「ドキュメンタリーを作るということ」(TBSブリタニカ)がある。プロデュース作品として、2001年に公開された『日本鬼子 リーベン・クイズ』がある。撮影も手がけ、本作に撮影クレジットされるK.P.マロンは監督本人である(Kenichi Petit Marron)。主な作品は、『長風萬里』(1988年)、『阿吽抄』(1991年)、『able/エイブル』(2002年)、『Host Town/ホストタウン』(2004年)、『believe/ビリーブ』(2005年)、『TOKYO JOE』(2009年)、『幸せの太鼓を響かせて ~INCLUSION~』(2011年)、『流れる雲よ』(2011年)、『天心の譜』(2012年)などがあり、精力的に作品を発表している。

追憶 原作者プロフィール

追憶 原作者 升本 喜年
升本 喜年Nobutoshi Masumoto

1929年生まれ。熊本県玉名出身。日本大学芸術学部(映画学科)卒業後、早稲田大学大学院(演劇学専攻)修了。1954年、松竹大船撮影所にプロデューサー助手として入社。1963年プロデューサー昇格、『大根と人参』(1965)、『アンコ椿は恋の花』(1965)、『男の顔は履歴書』(1966)、「コント55号」シリーズ(1968~)、『薄化粧』(1985)など、多くの作品を担当。松竹シナリオ研究所所長、松竹映像社取締役を経て、1988年、松竹退社。テレビドラマの企画制作会社「梟雄舎」を設立。著書に『紫陽花や山田五十鈴という女優』『田宮二郎、壮絶!』『女優・川田芳子の生涯』『女優 岡田嘉子』『人物・松竹映画史―蒲田の時代―』『松竹映画の栄光と崩壊―大船の時代―』『映画プロデューサー風雲録』など多数。

追憶 音楽家プロフィール

追憶 音楽 小林 研一郎 コバケン
小林 研一郎Kenichiro Kobayashi

1940年福島県いわき市生まれ。

東京藝術大学作曲科及び指揮科の両科を卒業。1974年第1回ブタペスト国際指揮者コンクール第1位、特別賞を受賞。ハンガリー政府よりリスト記念勲章、ハンガリー文化勲章、星付中十字勲章(民間人としては最高の勲章)が授与される。2011年文化庁長官賞受賞、2013年旭日中綬章叙勲。

現在、ハンガリー国立フィル、日本フィル、名古屋フィル桂冠指揮者、ハンガリーリスト音楽院名誉教授。東京藝術大学名誉教授。東京音楽大学名誉教授。東京文化会館音楽監督。2016年4月より長野県芸術監督団に就任。

追憶 プロデューサー プロフィール

追憶 プロデューサー 奥山 和由
奥山 和由Kazuyoshi Okuyama

1954年生まれ。

「ハチ公物語」「226」などの超大作を手掛ける一方、北野武を監督としてデビューさせ世界に送り出す。また、「うなぎ」では、カンヌ国際映画祭でグランプリにあたるパルムドール賞を受賞。映画製作における映画ファウンドや製作委員会方式を開発、スクリーンインターナショナル映画生誕100年特集号で世界の映画人100人に日本人としては唯一選出される。日本アカデミー賞優秀監督賞・脚本賞・企画賞、日本映画テレビプロデューサー協会賞、藤本賞、ゴールデングロス賞、他受賞多数。他、代表作・「その男、凶暴につき」「いつかギラギラする日」「ソナチネ」「RAMPO」「GONIN」「クラッシュ」「地雷を踏んだらサヨウナラ」など。最新作は終戦70周年記念映画「この国の空」、ベルリン国際映画祭正式招待作品「火Hee」

追憶 語り 美輪明宏
(撮影・御堂義乘)

追憶 語り 美輪 明宏 プロフィール

美輪 明宏Akihiro Miwa

1935年.長崎県出身。

歌手、俳優、演出家。小学校の頃から声楽を習い、16歳でプロの歌手として活動を始める。

銀座のシャンソン喫茶「銀巴里」を拠点にクラシック・シャンソン・タンゴ・ラテン・ジャズを歌って注目を集める。

1957年、「メケメケ」が大ヒット。また日本におけるシンガーソングライターの元祖として「ヨイトマケの唄」など多数の作品を手がける一方で、俳優、タレントとしても活躍。舞台・映画・テレビ・講演・著作と多方面で活躍。

演劇活動においても寺山修司の『毛皮のマリー』三島由紀夫と組んだ『黒蜥蝪』ほか数多くの作品に出演。近年では宮崎駿監督によるアニメーション映画「もののけ姫」「ハウルの動く城」での 声の出演

「紫の履歴書(水書房)」「人生ノート(パルコ出版)」「花言葉(パルコ出版)」ほか著書も多数。

波乱万丈な体験からくる、人生を語る言葉は、多くの人を勇気づけている。

2012年大晦日「NHK 紅白歌合戦」に初出場。時代を超えて愛される「ヨイトマケの唄」を披露した。2014年からはNHK連続テレビ小説「花子とアン」の語りを担当し、2016年4月からはNHK『にほんごであそぼ』に新キャラクター「みわサン」として登場している。